真鶴を歩いて泊まれる出版社

左から、冨永美保さん、來住友美さん、川口瞬さん

【略歴】

來住友美さん:大学卒業後、青年海外協力隊でタイへ、その後フィリピンのNGOで活動。現在真鶴出版の宿泊業務担当 

川口瞬さん:大学卒業後IT企業に勤務。在職中に雑誌WYPを刊行。現在真鶴出版の出版業務担当

冨永美保さん:2014年にtomito architectureを設立。2014-2020年、伊藤孝仁さんと共同。真鶴出版2号店を設計。

 

神奈川県の真鶴町にある「真鶴出版」は出版社とゲストハウスを併設した泊まれる出版社だ。町並みや風景が息づいた真鶴町ならではの散策路「背戸道」を軸として、宿と出版という異なる職種の組み合わせによる新たな働き方を実践している。仕事と地域全体との関係性について來住さん、川口さんに話を伺った。また2人の活動を側で見てきた2号店設計者の冨永さんにも同席していただいた。

 

 

葛西孝憲(以下.葛西)──今日はよろしくお願いします。最初に川口さんにお聞きします。企業に在職中に雑誌を出版されていますが、「働く」というテーマに着目したのは何故でしょうか?

 

川口瞬(以下.川口)──もともと学生時代にベンチャーの出版社でインターンシップをしていて、自分で起業して働くということに興味を持ったんです。

その後は別のIT系の企業に入社したんですが、すごく良い会社だったので、起業することをやめてしまいそうだなと、逆に危機感を持つようになりました。そこで、自分で何かしなきゃと思い『WYP』という雑誌を始めました。会社員もやりながら副業という形で大学の頃の友人と始めました。みんな普通のサラリーマンだったんですが、今の働き方に疑問を持っていたので「働く」をテーマにしました。

 

葛西──その時一緒に雑誌をつくった方々は今は何をされていますか?

 

川口──第3号の制作途中に全員が当時勤めていた会社を辞めました。その後、1人は岡山で農業をしていて、1人はセネガルの日本大使館で働いた後に、今はフランスの大学院に行っていて、もう1人は1度ベトナムに行ったあとに、東京に戻って編集者として働いています。つくっている途中に、「働き方」は自分たちでつくれるんだ、働く場所は自由に選べるんだと気づいたんです。

 

 

下吹越武人(以下. 下吹越)──入社した企業で働き続けることに対する不安というのは何だったんでしょうか。

 

川口──大学にいたときは、会社に入って働くことが当たり前だと思っていました。しかし、雑誌でインドの若者をはじめ、サラリーマン以外の職業の方々にインタビューをするうちに、サラリーマンという生き方がいろいろな選択肢の中の一部でしかないことを実感しました。

 

葛西──企業を辞めて最終的に真鶴にたどり着いた経緯を教えて下さい。

 

川口──もともと地方で起業したいと思っていたんです。単純に地方は東京よりも費用がかからないこと、東日本大震災以降に地方に人が多く流れているのを感じて、これからは東京よりも地方の方がおもしろくなるんじゃないかと思っていました。

 

來住──社会の動向を気にする川口と違って私はもっと個人的な理由がきっかけになっています。私は大学卒業後、青年海外協力隊を通してタイで日本語教師をやっていました。しかし本来の目的であった海外の人と日本人を繋ぐということができていないなと感じ、フィリピンでNGOを立ち上げていた大学の先輩のところでゲストハウスの運営を始めました。

海外に出るまでは日本の都市に隙間がない息苦しさを感じていて、自分がいてもいなくてもあまり変わらないんじゃないかとずっと思っていたんです。でも海外の地方で働いていた時は生きている実感がすごくしました。その一方で海外でも、都市にいるときは日本にいたときと同じような息苦しさがあったんです。その時に、日本でも地方だったら自分が生き生きと生きられるんじゃないかと思いました。日本に戻っても人の流れが遅い地方で宿をやったら、ゆっくり人を繋げられるんじゃないか、そういうスタイルでやりたいと思って私は地方がいいと考えていました。

 

川口──そうしたら、知り合いで地方の写真を撮っている写真家のMOTOKOさんに真鶴を勧められました。彼女の中で真鶴をどうにかしないといけない、誰かに入ってもらいたいという思いがあったみたいです。あと出版業をやるにあたって、東京から1時間半程度で通える真鶴なら営業などに行くにも距離的にちょうどいいかなと考えました。

 

 

葛西──では始めから東京から遠距離という点は抵抗がなかったのですか?

 

來住──多少はありましたね。でも私の実家が横浜にあるので、何かあった時にすぐに帰れる安心感はありました。

 

川口──わりと軽い気持ちで、移住というよりも家を住み変える引っ越しくらいの感覚で来たんです。そしたら真鶴住民の方達が、「住民票を移したの?」とかすごい気にしてくれて、そんなに大ごとだったんだなと後から思いました。

 

Photo by Manazuru Publishing

 

冨永美保(以下.冨永)──今でこそ真鶴出版の2人の活動を通して、新しい住民が40人ぐらい移住しているんですけど、2人が移住してきた時と最近とでは町の空気感が全然違っていると思います。

 

來住──嬉しいことではあるんですけど、最初は良い意味での「たらい回し」にあいました(笑) 若い2人が移住してきたというのがすごいことだったみたいで、いろんなところへ挨拶に行きました。

 

下吹越──その「たらい回し」はどのような方々にどのような順番で回ったのですか?

 

來住──まずは役場の人からですね。そこでいろいろな活動をしている人たちを紹介して頂き、ご挨拶していくことになりました。

 

川口──社団法人だったり、真鶴に関する活動をしている人たちですね。

 

下吹越──昔、僕は和歌山市の公共施設を設計したときに1年間現地に暮らしたことがあります。お二人と同じように引っ越した時は役所の方から「たらい回し」にあいました(笑)人間関係のネットワークをうまく繋いでくださる世話役のような方がいらっしゃって、そういう方のサポートによって短期間で地域の一員としての立ち位置を築くことができたと思います。やはり役所の方が仲介役として間に入るとスムーズかもしれないですね。

 

來住──そうですね。あとやはり小さい町だと役場にすごく信頼感があるので、町の人も役場経由だと安心してくれます。

 

葛西──1号店も2号店の物件も役場経由で見つけたんですか?

 

來住──1号店はとりあえず住むだけのつもりだったので不動産屋さんで見つけました。2号店は1号店の目の前の物件が空いているのを知って、ある時大家さんが掃除に来たタイミングで「宿をやりたいんです」と話しかけに行きました。

 

葛西──直談判されたんですね。先ほど新しく移住者の方々が40人位いるとおっしゃっていましたが、その移住者の方たちもお2人みたいに真鶴で働き始めたんですか?

 

川口──様々ですね。旦那さんが都内に通勤している方もいれば元々東京のイタリアンレストランで働いていた人がこっちに来てピザ屋を始めたりとか。

 

來住──パン屋だった人もこちらに来て新しい店を始めましたね。

 

 

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川口──そうした自営業系もいれば、バイトしながら画家をやっている方や、刺繍作家などの作家系もいます。

 

冨永──なにかをつくっている人が多い印象でした。あと町におしゃれな美容室と美味しいパン屋さんがあるかどうかは、この町に住みたいと思うかどうかの重要な要素だと思います。

 

下吹越──そうなんですか。パン屋はわかるけど美容室も?

 

來住・冨永──美容室は大事ですね(笑)

 

葛西──昨年インタビューをさせていただいた403architectureの方々も同じようなことをおっしゃっていたのですが、美容室にその町の人が集まって来て情報交換をするようなことがあるんですかね。

 

來住──それはあるかもしれないですね。菅沼さんという美容師の方がいるんですけど、その方は真鶴に住んではいないけど、いつか真鶴にお店を持ちたいと言っていて、すぐそこのお店で席借りをして月に約2回出張美容室をしています。私たちも切ってもらっていますが、切っている間たくさん話すじゃないですか。だから菅沼さんの町に関する情報量がどんどん増えていくんです。

 

葛西──町の掲示板みたいになっているんですね。

 

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オープンな海辺のコミュニティ

 

下吹越──次に真鶴のコミュニティについてお2人にお聞きしたいと思います。

以前岡本哲志さんという歴史家の方から、漁師町は農村に比べるとコミュニティが開いていると伺ったことがあります。なぜかというと、危険な仕事の漁業はどうしても人が離れてしまうので、なりわいやコミュニティを維持するためにもいかに外部の人間を受け入れるかが重要なスキルなんだそうです。以前に宮城県の牡鹿半島で学生たちと復興支援活動をした際にも、住民の接し方に触れてなるほど、と納得したことがありました。そういう感覚は真鶴でもありますか?

 

來住──絶対にあると思います。 真鶴も和歌山の方からボラ漁をやるために大量に移住して来たり、集団で三重から海女さんたちがお嫁に来たりということがありました。

 

冨永──おもしろいですね。文化レベルで他者を受け入れる素養があるというのが地勢や地形によって決まるところが。

 

下吹越──お2人に続いて新しく40人も移住者が入ったわけですが、この方々はコミュニティの内側の事情ではなくて外側から勝手にやって来たわけで、なりわいにも無関係だし、とても現代的な現象でおもしろいなと思いました。地元の方々はお2人をどのように受け入れ、さらにその後に続く方々をどのように見ていらっしゃるのか、実際に暮らしていて何か感じることはありますか?

 

來住──地元の方々は当時27歳の若造だった私たちに対してとてもよくして下さいました。地元の人は大学進学のときに町を出て帰ってこない人も多く、特に20代後半の人が少ないのも関係しているかもしれません。

 

下吹越──その後続いて来た40人の移住者たちに対してもやはり同じように喜んでいらっしゃいますか?

 

來住──そう思います。

 

川口──みんなそれぞれ僕らを介さずに、自分たちでコミュニティを開拓している感じがします。

 

下吹越──やはりコミュニケーション能力に長けている方々が移住されているんでしょうね。

 

 

川口──自分から町と接続したいと思っている方が多いですね。でも60代以上の年配の移住者の方に話を聞くと、昔は真鶴ももっと排他的だったという風に聞きますね。

 

來住──真鶴に移住してくる人たちも世代によってその目的が違ったりします。上の世代はアトリエや別荘として来る方が多く、私たちの世代は真鶴のコミュニティに魅力を感じて移住してくる人が多い気がします。どちらにせよ積極的にお祭りなど、地元のコミュニティに参加しようとすると、地元の人も受け入れてくれる気がします。

 

冨永──宿の活動の一環で來住さんと川口さんがゲストを連れて町歩きをされているんですけど、私が案内してもらったときには、常連さんが集まる角打ちでみんなで飲んでいたらいつの間にか大合唱みたいな場面に遭遇しました。普段1人で来ていたら絶対できない体験や気づけないことなど、その一連の真鶴を経験することで住んでみたいという像が浮かんできました。2人と一緒に歩くのとそうでないのとでは町歩きの解像度にすごいギャップがあると思います。

 

來住──地元の人にとって私たちがお客さんと一緒に町を歩く風景が日常になっているんだと思います。以前に比べて最近では軽く挨拶をされることも普通になりました。

 

冨永──はじめて真鶴を2人に案内してもらった時も駅からここまで来る間に道ゆく人道ゆく人に挨拶していて、仕込みかと思いました。(笑)

 

 

葛西──真鶴の土地柄もあると思いますが、お2人の活動によって真鶴に多くの移住者が入って来て、真鶴全体に何かよい影響を及ぼしているように思えるのですが、町おこし的なことは意図していたのでしょうか?

 

川口──意図はしてないですね。

 

來住──私たちの活動はあくまで出版と宿をひたすらやるということがメインで、自分たちがギリギリ食べていければいいんです。その副作用として町によいことがあったら嬉しいなとは思っていますが、移住者を積極的に増やそうとは思っていません。

 

下吹越──編集者というなりわいには、その地域の持っている様々な要素を発掘して新たな経路をつくるような発見的視点があると思うのですが、移住した当初からそのような意図や、期待はあったのでしょうか。

 

川口──出版業界は東京に集中しているので、移住した当初は感覚的にこっちの方がいいんじゃないかと思っていました。東京のメディアだとどうしても他の地域と比べて秀でているところを探す感じになっていると思うのですが、こっちで活動を始めてからだんだん思うようになったのは、僕は真鶴に特化して深掘りしていく、他と比べるのではなくて1つのことを深掘りするというやり方がしたいし、ここでならできそうということでした。

最初は東京にもっと真鶴を広めたいと思っていたんですけど、今は真鶴内部の人達の価値観を変えることにも意味があると思うようになりました。

 

下吹越──出版者として地域の人に会っていろいろ話を聞いて書籍にまとめるというのは、川口さんという人柄を認知してもらうことにもつながるし、出版というメディアはコミュニティへの活性剤としてうまく作用するんだろうなと思いました。一方で來住さんは外部から人を連れて来て新しいネットワークをつくる窓口になっているし、出版と宿がセットというのはものすごくよく考えられた戦略だなと思っていたんですけど、話を伺うと偶然というか自然な流れだったんですね。

 

來住──単純にそれぞれやりたかったことですね。

 

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西──話は変わりますが、2号店をオープンするにあたってtomito architecture(以下.tomito)さんに依頼される際に、tomitoが設計された「CASACO」で定期的に開催されているスナックを訪れたそうですね。

 

来住──当時、物件は既に決めていたんですが、絶対に真鶴の「美の基準」*の世界観をわかってくれる人にお願いしたいと思って、移住した時からずっと建築家を探していたんです。ある時ウェブサイトで冨永さんの生態系図を見つけて、これだ!と思って調べたら、3日後に「スナックとみと」で会えるというのを見て、急遽会いに行くことにしました。

*編注:「美の基準」とは、1994年に施工されたまちづくり条例。 “真鶴らしさ”をまとめたデザインコードであり、生活風景を残すことを目的として制定された。

 

葛西──本当にタイミングよく出会えたんですね。

 

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