経済重視型ではない、新しい資本主義の模索

左から村井海渡さん、片柳義春さん

  • 片柳義春
    1957年東京・日本橋生まれ。父の経営する切り文字屋(ディスプレ業)を継ぎ2003年まで代表取締役を務める。その後神奈川農業アカデミーを受講し神奈川県大和市認定就農者となり、なないろ畑を開設。2006年なないろ畑をCSA農場として取り組む。
  • 村井海渡
    大学院で建築を専攻、就職活動の際コミュニティ形成に興味を持ち、卒業後なないろ畑に就職、唯一の社員となる。

 

神奈川県中央林間駅から徒歩7分のところに出荷場を構える「農業生産法人 株式会社 なないろ畑」は、生産者と消費者が直接関わって農業に取り組む「CSA(Community Supported Agriculture = 地域支援型農業)」を導入している日本では珍しい農場だ。CSAの仕組みは1年ごとの会員制であり、会員は事前に年会費を支払い生産者から定期的に野菜セットを受け取る仕組みとなっている。CSA運営方法は生産者主導型、消費者主導型などがあるが、なないろ畑は生産者・消費者協力型となっており、生産者とともに会員が主体的に畑仕事の手伝いや野菜セットの出荷作業を行なっている。また農場の運営は会員の参加による会合で検討し、畑や出荷場では誰でも参加できるイベントの開催や野菜の直売といった地域に向けての活動も行なっている。こうして農業を核としたコミュニティが生まれ、現在80人ほどの人が集まっている。そこでコミュニティと農業の関係についてなないろ畑の主宰者である片柳義春さんと社員の村井海渡さんにお話を伺った。

 

 

下吹越武人(以下:下吹越) ──事前に片柳さんの著書を読ませていただきました。片柳さんは中央林間のご出身ではないんですね。

 

片柳義春:(以下:片柳) ──はい、東京の新富町生まれです。都会っ子でしたので、植木いじりに対する憧れのようなものがありました。祖父の隠居所が中央林間にあったので、僕は小学校1年生の時から祖父母と一緒に休日はこちらで過ごしていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『消費者も育つ農場〜CSAなないろ畑の取り組みから〜』 2017.10.23/創森社/片柳義春

 

川田優太郎(以下:川田) ──高校時代から農業に取り組まれていたそうですが、本格的に農業に取り組まれたきっかけはあるのでしょうか?

 

片柳  ──僕は農業による自給自足の生活ができないかとずっと考えていました。というのも家が木彫欄間の職人でして、跡を継ごうとしたのですが「食べていけない」からと祖父に断られてしまいました。僕は職人になりたいと思っていたので、木彫欄間で食べていけないのなら、食べるものを生む農業であれば自給自足ができるし、農業は職人の仕事だと思ったことがきっかけでした。しかしコミューンを作り農業をして暮らす人々を描いた1970年代の映画「イージー・ライダー」を観た時、農業による自給自足が成立していないことに気づきました。コミューンをうまく成功させるには高い農業技術がなければならないと感じ、農家のおじさんに野菜の育て方など聞くなりして農業を必死に勉強しました。そして高校生の時、先生に学校の空いている土地を貸してもらえることになり、ひとりで農業を始めました。当時学校へ行ってはいましたが、天気のいい日は畑を耕して授業を休んでばかりでした。高校3年生になって出席日数が足りなくなり、大学進学が危ぶまれた時は教員に畑で作ったサツマイモを配りました。それがレポートの代わりとなって単位を貰いました(笑)。

 

畠山かおり(以下:畠山) ──高校時代に農業を教えてくれた農家の方も有機農業だったのでしょうか?

 

片柳 ──有機農業ではありません。その当時、有機栽培はまだ普及していませんでした。しかし1970年代後半から『複合汚染』という小説がテレビで紹介された瞬間、日本中が一時的にパニックとなり、有機野菜を求めて畑に人が押し寄せてきました。急に見たこともない人が勝手に僕の畑に入ってきて、野菜を全部持って行ったことがありました。本当にひどい目にあいました。

 

川田 ── 一度農業から離れて別の仕事に就き、2003年に農業を再開された当時は、お客さんから野菜を収穫した分のお金をいただく積算方式で集金されていましたが、現在ではCSA方式を取り入れて会費制に変わっています。CSAの仕組みはいつごろご存知になられたのでしょうか?

 

片柳 ──2006年ごろ雑誌の紹介記事で知りました。年会費前払い制度の会員システムがすごく魅力的だと感じCSAを始めました。積算方式は集金できない時もあり、人数が多くなるにつれて運営管理がすごく大変だったので助かりました。

 

出荷作業の様子

 

なないろ畑のCSAの仕組み

 

川田 ──はじめは、農業を持続可能にする方法としてCSA方式を取り入れましたが、CSAの「C(コミュニティ)」を意識し始めたきっかけは何だったのでしょうか?

 

片柳 ──3.11(東日本大震災)です。放射能の影響が分かりすぐに会員の人に呼びかけ、これからどうするべきか話し合いました。そこでコミュニティを意識し始めました。通常なら生産者がお客さんに「どうしますか?」と聞くわけにはいきません。また3.11以降会員の年齢構成も変わりました。それまでは会員の方の高齢化が進みましたが、若いお母さんたちが入会されて年齢層が広くなり、その後自分たちは有機農業を核としてコミュニティを生成しているのだと気付きました。現在はさらにいろいろな方が参加されています。会員の中には加齢によるハンディのある人、園芸療法の主催者、最近ではデイサービスに通うおじいちゃんが畑仕事をしにいらっしゃいます。なないろ畑は貧乏な畑で公的助成もないのですが、コミュニティとセーフティネットを備えているようなコミューンになっていると感じます。農業本体はどんどん駄目になっていくのですが、コミュニティのほうが勝手に大きくなっています(笑)。最近つくづく思うのですが、孤食の人が多くなっているので、野菜を買っても使いきれなくて困っているのではないでしょうか。なないろ畑の会員にも高齢化して家族が減ってしまったり、食が細くなったりして、野菜を使いきれないから辞めるという人が多くいます。ですから僕らとしては、ここ出荷場で「まかない」を食堂として発展させることができるのではないかと思っています。手の空いている人に手伝ってもらい、毎日ここでご飯が食べられる。孤食の人たちはそれで助かるのではないのかなと考えています。

 

出荷場の様子

 

出荷作業後、みんなで「まかない」をいただく

 

川田 ──ここ出荷場では映画鑑賞会や手芸教室など行なっていると伺っておりますが、そういったイベントは月にどのくらいの頻度で行われるのでしょうか?

 

片柳 ──イベントは月1回程度ですが、主宰する人がいれば随時開催することになります。

 

川田 ──非会員の方や周辺地域の方も参加されているのでしょうか?

 

片柳 ──もちろん参加可能なのですが、大体は友達の友達という関係で参加されます。友達の友達には変わった方が沢山いて、それがまた面白いですね。本当は地域の人が参加しやすいようにしたいのですが、傍から見るとなないろ畑は近づきがたい雰囲気となっているのかもしれません。でもなないろ畑に足を踏み入れたら冥府魔道で、二度と出てこられないのかな(笑)。もっと地域の人が参加しやすくなる工夫やプラスアルファの面白いことをしたいのですが、今は僕が農作業にかかりっきりですので、農作業以外の活動はなないろ畑に来てくださった人たちみんなで行うようにしています。なないろ畑はみんなが自由に使えるインフラを提供しているようなものです。もともとは実験農場ですので、いろいろなことをする場所として使っていただき、多様なコミュニティが生まれたらいいなと思います。

 

会員同士で楽しくお話をする様子が見受けられました。

 

 

 

 

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